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忘れ星の眠り ⑧

last update Last Updated: 2025-08-08 14:25:26

「あんたたち……本当に旅人?」

 少女は焚き火の炎を見つめたまま、声を落とした。

 リノアは少女の目に迷いを感じ取った。

 少女の問いは疑いというより、確かめたいという気持ちに近い。組織の教えと、今ここにある静けさの間で、少女の心が揺れている。

 それを悟られまいとするように、少女は表情を硬く保っているのだ。

 この子にとって、私のような存在は、きっと初めてだったのだろう。敵意も命令もない言葉に、どう応じれば良いのか分からないのかもしれない。

 そう思えるほどに、少女の反応は過剰で痛々しい。

 少女にとって敵意のない言葉は遠いもの。信頼すら訓練の中で否定されてきたのだろう。

 一体、少女が所属している組織とはどのようなものなのか。

 人を疑うことが、生き延びるための常識になっているだなんて……。どれほど冷たく疑念に満ちた組織なのか。

 リノアが、その想像に胸を締めつけられている時──

 静けさを破るように、ぱきり、と枝を踏む音がした。

 リノアが振り返るより早く、焚き火の向こうにエレナの姿が現れた。肩に獲物を担ぎ、額には汗が光っている。

「鹿じゃなかったけど、まあまあのウサギが三匹。悪くないでしょ、見たことのない動物もいたけど、あれはちょっとね。食べて良いか分かんないし」

 エレナは軽く笑いながら、獲物を地面に下ろし、少女にちらりと目をやった。

「良かった。起きなかったら、どうしようかと思った」

 エレナが安堵の表情を浮かべた。

「……私に何をした?」

 少女の目がエレナに真っすぐに向けられ、やや呼吸が浅くなっている。

 威圧的というより、どちらかと言えば怯え──

「何って、この風語の鈴を使っただけよ。これを使ったら相手を眠らせることができると聞いて、試しに使ってみたの」

 そう言って、エレナは鈴を掲げて見せた。

 少女は反応をせず、焚き火の炎を見つめたまま黙り込んでいる。先ほどまでの敵意は見られない。複雑な表情を浮かべている。

 リノアは少女の沈黙の意味を読み取ろうとした。

──眠らせた理由。それが心の中で引っかかっているのではないか。

 なぜ、殺さずに眠らせたのか。

 なぜ、敵としてではなく、保護するような行動を取ったのか。

 この子にとって、敵意のない行動は理解しがたいものだ。それほどまでに少女の世界は疑念と命令に支配されている。

 エレナは手際よくナイフを
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